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2024/03/19 11:14 |
アイマス劇場版の感想など
メインのサイトを更新しようと思ひ立つとさういふ時に限つて繋がらない法則、といふことで、溜め込むのもあんまり精神衛生上よろしくないのでアイドルマスター劇場版の感想をこちらに。

ネタバレといふほどのネタバレがある映画ではありませんが、或る意味では全ての場面がネタバレとも言へるし、個人的には先入主無しで観て欲しいと思ふのでこれから観る予定の向きはお読みにならない方が良いかと思ひます。

あと全然関係無い話ですが『かぐや姫の物語』も観ました。非常に良かつたです。東欧などの手描き短篇アニメーションの手法に近いものを日本アニメの技術と方法論、そして膨大な予算によつて長編映画に仕立て上げたやうで、アニメーションの「絵」に興味のある方はぜひご覧になるのをお勧めします。筋立てや演出も(最終的に如何にもな「生命賛歌」みたいになつてしまふのを除けば)非常に良かつたと。

閑話休題、以下アイマスの話。



一言で表すと「すごくアイマス」だと思つた。それは良い意味でも悪い意味でも。
もう少し厳密に言ふと「すごく765プロ」だな、と。

現在の「アイマス」といふのを僕は第一義的にキャラクターコンテンツだと捉へてゐて、つまりそれはゲームでの膨大なコミュ(断片的なエピソード)やその後の展開の積み重ねで形作られてきたキャラクターがまづあつて(或る意味それは現在進行形で集積が続いてゐるのだけれど)、それが活かせてゐればOK、そこから外れたものはNG、といふ感じ。さういふ意味で765プロのメンバーに関して言へば、たぶんあれ以上といふのはすごく難しい。勿論扱ひに偏りはあるけれど「765プロの13人」を中心に据ゑて2時間の尺で映画を作るとしたら、後は完全な日常ものにするぐらゐしか無かつただらうし、「完全な日常もの」といふのはそれはそれで「アイマスらしく」はないのかな、といふ気がする。

物語はTVシリーズの続編といふことで、既に相当の売れつ子となつた765プロのメンバー(律子はかなりプロデューサー寄りの立ち位置)のアリーナライブへ向けた「友情・努力・勝利」のお話といふ感じ。
765のメンバーは基本既にTVシリーズで盤石となつてゐるので今回障害となるのはバックメンバーとして参加したミリオンライブ組のチームワークや挫折といふことになり、さういふ意味ではミリオン組は単なる賑やかしではなく物語の中心にしつかり嚙んでくることになる。

で、それはそれで良いのだけれど、今回の「挫折」はあくまで765プロのメンバーから見たら外部で起こる問題であつて、その解決の仕方が「一緒に乗り越える」といふよりは「765イズム」的なものの中に取り込む形になつてしまつてゐる点が何といふか。
もう少し突つ込んで言ふと「レッスンに付いていけない、みんなにも迷惑をかけるし抜けたい」といふ矢吹可奈に対して春香さんが執拗に(と敢へて言ふ)「諦めないで」と呼びかけ、リハーサルの舞台に連れてきて「本当に諦めていゝの?」と問ひ掛ける場面は正直怖い。結果的にそれは可奈の望みでもあつた訳だけど、それはあくまで結果論であつて、可奈の「自分は『春香ちゃん』とは違ふ、選ばれた人間ぢやない」や北沢志保の「できない人は置いておいて、できる人間が進むしかない」といふのに対して「自分だつて最初はできなかつたけれど、諦めなければきつとできるはず」といふのはかう言つては何だけどブラック企業的洗脳といふか、ワタミの人のやうですごく危ふいものを孕んでゐるし「みんなで一緒に」といふ765イズムが批判されないまゝ押し切つてしまふ様といふのはやつぱり「乗り越えた」といふのとは違ふ、すごく拙いやり方だと感じた。

もちろん劇中ではさういつた春香さんのやり方に対して伊織や美希の存在がエクスキューズにはなつてゐるのだけれど、それが巧く機能してゐたかといふのは個人的に疑問。結局は「765側」のメンバーは春香さんを肯定してしまふ訳で、そこでの衝突が充分に描かれてゐたとは思へない。ちなみに千早は徹頭徹尾春香側ではるちはとしては非常に美味しくいたゞけたのだけれど、物語の中の主要なところには居なかつたかな、といふ印象。さういふ意味では伊織の存在感はかなりあつたと思ふ。要所々々で場の空気を引き締める役割といふのは流石に竜宮小町のリーダーにして765プロの精神的支柱といふ感じ。

で、散々拙いと言ひつゝも、春香さんがリーダーでなければ可奈はあのまゝ諦めてしまつてゐただらうし、そして「もつと良いやり方があつたかも知れないけど、私は天海春香だから」といふ台詞の通り、春香さんが春香さんである以上(アイマスがキャラクターコンテンツである以上、と言ひ換へても良いかも)、あの場面はあゝなるしか無かつたのだとも思ふ。さういふ意味で「良くも悪くもすごくアイマス」だと思つたし「アイマス」としてはあの映画はかなり正しい。メインキャラクターだけであれだけの人数(ミリオン組含めれば20人)、しかもそれぞれに年季の入った面倒臭いファンが付いてゐるキャラクターをそれなりに捌いて1本の映画にするといふことを考へると、たぶんあれ以上は望めないのではないかな、とも。

あとはまた文句ばかりだけれど、最後のライブシーンが個人的にもう少し映像を弄れなかつたかなー(俯瞰の時に振り付けが3Dモデルまんまだつたり、アリーナを回るカメラワークが退屈だつたところなど。いつそTV25話のやうにイメージ映像入れても良かつた気がする。いやバックメンバーの見せ方含めてそれなりに水準高かつたけど、アイマス映画の最後の見せ場としてはどうしても「もつと」と思つてしまふ)とか、プロデューサーのアメリカ行きを突つ込んだ意味あつたのか(まあ「P不在時でもアイドルたちでどうにかする」といふのを描く意味はあつたと思ふけど、もつと深く話と関はるかと思つてゐたらそんなこともなく拍子抜け)とか。正直全体的に映画としてみたら特に終盤はグダグダだつたと。合宿の辺りまではかなり評価できる感じなのだけれど。

たゞ、それでは前半の合宿だけやつてゐれば良かつたのかと言はれゝば、それも違ふといふか。
後半のブラック企業セミナー的な部分や全体として構成が緩いところ、細部に拘る割に大事な部分が抜けてゐるやうなところも含めて、それは今までのアイマスにもあつたところだし、さういふ意味で「アイマスらしい」と言へると思つてゐて。
逆説的に今回の劇場版は従来のアイマス、といふか「765プロの物語」の限界を示してしまつたのかなあ、などと考へたりしてゐるところ。

最後に繰り返しになるけれど「キャラクターコンテンツ」としてはやつぱりあれはかなり「正しかつた」とも思つてをり、文句は山のやうにあるのだけれど、それはそれで「アイマスの一部」として許容するし、これでアイマスから卒業、みたいなことも無いだらうな、とは思つてゐる。今までもアイマスの全部を肯定してきた訳ではないし、今後もまあ気に入る部分、気に入らない部分はありながらも所謂「アイマス界隈」の隅つこ辺りには居るのではないかな、と。
今までも「アイマス最高!」とか言つたことは無いし、これからも言ふことは無いだらうな、と思ひながら、それでも例へば次のゲームには期待してゐたりするし。

纏まり無く長々と書きすぎたけれど、ひとまづはこんな感じで。
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2014/01/30 00:12 | Comments(0) | 記。

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