僕がPerfumeに求めていたものの殆どは、初音ミク(に限らずヴォーカロイドもの全般といってもいいのだけれど、現時点では質量共にミクが圧倒的である、というか、『設定』とか『性質』として、「そっちの方向」はミクが向いているんだよな)を用いた作品によって、それこそ「より純粋な形で」供給されていることに気付いた。
荒廃? そうかもね。
荒廃? そうかもね。
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完全に正しい言説というやつ。だって「乗り越えられなかった」ものについては『試練』とは呼ばないんでしょう? 結果論で「乗り越えられた」ものだけ選んで「試練でした」って、それは正しいけど、何も意味を感じないや。
降り注ぐミサイルとか、突然地震で生き埋め(若しくは即死)とか、車道から突然飛来する車のホイールとか、通学路で出会う、一見温厚そうな殺人者だとか、そういうのは『試練』にはカウントしないんだもんねえ?
とは云いつつ。
「もう駄目。つらい。死にたい。死ぬ」とか思ってるうちはまだ割に余裕があるってのも知ってます。この程度なら『試練』レヴェルかも知れないね。
降り注ぐミサイルとか、突然地震で生き埋め(若しくは即死)とか、車道から突然飛来する車のホイールとか、通学路で出会う、一見温厚そうな殺人者だとか、そういうのは『試練』にはカウントしないんだもんねえ?
とは云いつつ。
「もう駄目。つらい。死にたい。死ぬ」とか思ってるうちはまだ割に余裕があるってのも知ってます。この程度なら『試練』レヴェルかも知れないね。
僕はたぶん、基本、三大欲求に金を使いたくないんだと思う。
友人と出掛けるときにはそこそこお金使って外食したりもするけれど、それは『食物』に対して払っている対価ではなくて。少なくとも僕の意識ではそこで購われるのは『食欲』とは多少位相が違う。
まあプリン買ってきて家で食べたりもしますけどね。
突き詰めると『金銭』というものの、自分の中での位置付けとか、そういう話になったりならなかったりするのかも。かも。
もう10年以上云ってるけど、マッシーンになりたいですよ。
友人と出掛けるときにはそこそこお金使って外食したりもするけれど、それは『食物』に対して払っている対価ではなくて。少なくとも僕の意識ではそこで購われるのは『食欲』とは多少位相が違う。
まあプリン買ってきて家で食べたりもしますけどね。
突き詰めると『金銭』というものの、自分の中での位置付けとか、そういう話になったりならなかったりするのかも。かも。
もう10年以上云ってるけど、マッシーンになりたいですよ。
『乙女』というのはそもそも幻想の女性性というか、女性への歪んだ視線の上に構築された概念だと思うので(『少女』とかも同様)、リアル女子の感覚とはかけ離れているというか、寧ろリアルな『女性性』とは相反するものだったりするのかも、と思ったりもする(『リアルな女性性』の性質とか、そもそもそんなものが存在するのかどうか、という話はひとまずおいといて)。
要するに、リアル女子が『乙女』になるのは難しい。
なので、女子3人と遊びに行って「この中でシダさんが一番乙女ですよねー」とか云われてもそれは原理的に全然おかしなことじゃないよ、という話。
要するに、リアル女子が『乙女』になるのは難しい。
なので、女子3人と遊びに行って「この中でシダさんが一番乙女ですよねー」とか云われてもそれは原理的に全然おかしなことじゃないよ、という話。
おもいつき。
『文化』とか『民族性』とかって、『血』じゃなくて『地』から生まれるものなのか、と。
例えばそれは流浪の民や遊牧民族などについても同様にいえることで(失われた約束の地?)。
いずれにしても単純化は間違いの元だけれど。でも『血脈』やら『民族』やら、果ては『国家』なんてものよりは、『地理』『地形』の方が腑に落ちる気はする。
『血』の影響で文化がどうこうなるには人間の本能は壊れすぎてんじゃないかなー、とも。
全く影響が無いというのもそれはそれで不自然だろうけど。
『文化』とか『民族性』とかって、『血』じゃなくて『地』から生まれるものなのか、と。
例えばそれは流浪の民や遊牧民族などについても同様にいえることで(失われた約束の地?)。
いずれにしても単純化は間違いの元だけれど。でも『血脈』やら『民族』やら、果ては『国家』なんてものよりは、『地理』『地形』の方が腑に落ちる気はする。
『血』の影響で文化がどうこうなるには人間の本能は壊れすぎてんじゃないかなー、とも。
全く影響が無いというのもそれはそれで不自然だろうけど。
あんまり女子力の高い集団はそれはそれで暑苦しくて苦手だけれども、腐女子コミュニティでキャッキャウフフとか、そういうのが一番居心地が良かったり。
自分が成人男性であるということに、時々当惑する。
当然のように『成人男性の役』を期待されてもなあ、と。一方で『女性』になりたい、というのも一寸違って。
『男/女』でいちいち切り分けられる違和感、なのかな。『性別』をデジタルに区分けして、それを行動規範のかなり根っこの方に置く、という、そのこと自体への違和感。
当面は保留。
自分が成人男性であるということに、時々当惑する。
当然のように『成人男性の役』を期待されてもなあ、と。一方で『女性』になりたい、というのも一寸違って。
『男/女』でいちいち切り分けられる違和感、なのかな。『性別』をデジタルに区分けして、それを行動規範のかなり根っこの方に置く、という、そのこと自体への違和感。
当面は保留。